2025/12/28

第1回「決意」 ~ アラフィフおじさんの 「イギリス留学記」~ 2011年(当時49歳)の回顧譚


 こんにちは♪ ナッツで〜す。ココでーす。今回から、昔ご主人が海外留学に行ったときのことを思い出しながらシリーズで書くことにしたらしいよ❤️ 
 そういえば、そんなこともあったねー。僕たちは置いていかれて、奥方が面倒見てくれたんだっけねー。
 まぁ、ご主人にはいい思い出なんだろうから忘れないうちに書いておくのはいいことだと思うよ💓

 以下、ご主人の回顧録。

     ***  ***  ***  

 第1回「決意」

 実は、、、でもないけど我には海外留学経験がある。それも50歳間近になってからである。今思えば、「その歳でよく行ったな」と言うより「よく、行かせてもらえたな」ってな感じの留学ではあるが、我の数少ない、自慢の思い出である。

 折角ブログをやっているので、忘れないうちに「思い出ばなし」として書いておこうと思った次第。(一気には書き上げられないので、時々、ちびちびと書く予定)


では、早速、、、


 若いころは海外旅行が好きで、あの「地球の歩き方」っていう旅行ガイド本を片手にいろいろ行った。

 初めての海外旅行は中国。大学の卒業旅行。就職を控えた1985年の冬だった。「地球の歩き方」の創刊が79年だからブームに火が着き始めたころだ。お金はバイトでなんとかかき集めた。ヨーロッパとかアメリカなどへ行く連中もいたけど、そっち方面は気おくれがした。そもそもお金が足りなかったし(笑)。

 大学の友人と二人で香港から中国に入り、1か月近く放浪のような旅をした。中国との国交回復(声明)が1972年(正式な友好条約は78年)で、日本と比較しても、中国の近代化は相当に遅れていた。今からでは想像もできないような食事や交通、宿泊事情で大変な旅だった。「これはヤバい。死ぬかも」と思ったトラブルも数回はあった(笑)。そのあたりは、また別の機会に書いてみたい。

 さて、そんな中国の旅を皮切りに、往復航空券と到着当日のみの宿泊付きのパッケージをよく利用した。現地に着いてから翌日の宿を確保しながらの旅行である。今の奥方ともロンドン観光やカナディアンロッキーにスキーに行ったこともある。結婚前だったから、「旅行中にケンカでもしてたら今の生活はなかったんだろうな。」なんて思いだしたりする(笑)。

 当時はスマホやPCはなく、手配はすべてアナログである。大変だがその分楽しかった。とりあえず困らない程度にはブロークンイングリッシュってやつを話せたということだ。

 こどもができて家族中心の旅行になってからは、安全第一で普通のツアーに参加することが多くなった。でも、できるだけ現地でフリーになれるのを選んだけどね。(写真は息子の海外旅行デビューのケアンズ)

 そんなこんなで、英語をもっと話せるようになりたいなと常々思いながらも月日は過ぎた。既に40歳を過ぎたころであるが、たまたま「外国人を相手にする仕事」を担当することになった。我の拙い英語でなんとか通じるものの自分の語学力のなさを痛感した。これを機に、遅まきながら英語の勉強を再開したのだった。今振り返ると、「よく頑張ったね」と自分を褒めてあげたい(笑)。

 そのころ、所属は違うけど、やはり外国人を相手に仕事しているSさんから、「アメリカに短期の留学に行ってきた」という話を聞いた。「希望してみれば?」とも勧められた。

 「へー、行けるんだー」。なら、「我も行きたい!」。しかし、仕事(能力向上)のために留学させてもらうんだから条件はそれなりにある。TOEIC750点以上で、現在及び将来の仕事上の目標・目的が具体的であることだ。

 「英語の勉強も始めたし、やってみるか!」。アルクのTOEIC講座を受けながら、TOEIC試験も受けてみた。最初は500点かそこらだったが、2年ほどコツコツとやりながら目標の800点を取ることができた。TOEICテストは2時間の集中力が必要。アラフィフおじさんには体力的にエライ(キツイ)のだ!ゆえに800点は偉いのだ(自画自賛で恐縮)!

 なお、その上のARCの900点コースの野望は無謀だった。途中で無理ゲーであると悟った(笑)。

 さて、800点とったものの、残念なことに担当する仕事が外国人と関わらない部署に変わってしまったため、留学を希望する機会を失っていた(結構ショックだった。哀れ!)。

 さらに数年を経て、職場が移り、以前とは異なるが、再び外国人の学生を相手にする仕事が回ってきた。その仕事の前任者は奥さんが英語圏のネイティブの人。そんな御仁の後任になぜ我がとも思ったが、多分あの800点が効いたのだろう(嬉)。


 「我の年齢はもう50歳目前。でも行けるなら、行きたい! 多分、これが最後のチャンスだ」。海外留学の募集は年に1回。採用は数名。その案内が来るのを待って、奥方と息子に我の野望を告げると意外にあっさり承諾してくれた。まぁ、我の日頃の努力を知っていたからだろうね(笑)。

 特に奥方には迷惑かけることになるけど、感謝しかない。ちなみに、一人息子も高校生。大学受験も控えている。「おやじ、やるじゃん、見直した」って思わせたい、そんな魂胆もあった(笑)。翌日、早速申し込んだ。

 さて、応募条件のうち、TOEICの点数はクリアしている。問題は留学の目的・将来の目標だ。「留学に行かせてもらえたら、仕事でどのくらいメリット・恩を返せるか」を訴えなければならない。この年齢だから、将来の目標なんか言ってもしゃあないし、できない。ならばウソでも目下の仕事上の目的を訴えるしかない(嘘はダメだけど、誇大表現はあり⁉)。事前の書類や面接試験でもその作戦で通した。

 特に面接試験では「もっと若い人に留学の機会を譲ろうとは思わないんですか?」とか「その歳で、あなたにとってのメリットではなく、職場にとってのメリットがあるんですか?」などと手厳しい質問を受けた。

 「うるさいなー。歳、とし、トシって、そんな何回も言わなくてもイイじゃないか。歳なのはわかってるよ!」と心の中では強気に反論。でも、当然の質問だし、想定もしてた。とは言え、面と向かって聞かれるとやはりプレッシャーで冷や汗を流しながら、何とか切り抜けた。というか時間切れ(笑)。

 別の日には英語を使った面接も受けた。流暢には話せないのは承知している。しかし、我ながら「やっちまったなー」的な応答しかできなかった。答えようにも同じようなフレーズしか頭に浮かんでこないんだからしゃあないのだ。10分程度の面接時間を数時間にも感じながら緊張に耐えて終えた。これまた時間切れ作戦(笑)

 試験後、「こりゃダメだな」と思っていたら、なんと合格しちゃったのだ。「エーっ!」である。どうやら希望者(受験者)が少なかったらしい。

 ヤッター!! とりあえず、喜んだ(笑)


 つづく


























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