ご主人がアラフィフだったころのイギリス留学記の第4回。
詳しくは以下のご主人の回顧録読んでね💓
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第4回「時間が解決⁉」
ご主人がアラフィフだったころのイギリス留学記の第4回。
つづく
先日から始まったご主人がアラフィフだったころのイギリス留学記の第2回。
留学応募試験に合格して、喜んでいるようだけど、それだけでもないみたいだね。
詳しくは以下のご主人の回顧録読んでね💓
第2回「喜び のち 不安」
ダメだと思っていたところ大逆転の合格! 「嬉しいけど、我のような者がホントにいいのかなー」と思いつつ、その日は早々に帰宅して奥方と息子に報告。もちろん一緒に喜んでくれた。
翌朝出勤すると職場のパソコンに人事担当部署から留学に関するメールが届いていた。開封すると留学先に関する意向調書。実は、この留学には留学先と留学期間の選択肢があるのだ。今回の応募にあたり希望を書いて出していたが、その再確認というこらしい。変更の意向も書ける。
記憶が曖昧だが、その他の選択肢にはイギリス(ロンドン)の公的法人への派遣(1~2年)というのもあった。我の場合、年齢と能力を考えれば、年単位の長期は論外。ということで応募時の希望はイギリス(バーミンガム大学)への3か月短期留学。Sさんが行ったアメリカの大学とどっちがいいか悩んだが、なんとなくイギリスの方が我に合っていそうな感じがしてイギリスを選択。ちなみにプレミアリーグ好きっていう背景が一番大きかったりする(笑)。
正直を言うと、大それた大学も一瞬夢見た。が、即、我に返って、「希望に変更なし」でメール返信。これで「イギリス バーミンガム大学」に来年(2011)の夏~秋に留学決定(仮)だ。
数日後、人事部署からメールが届いた。我の希望は受け入れられたようだ。合わせて、今年(2010年)留学した、いわば先輩を紹介してくれた。早速先輩に挨拶を兼ねてメールを送信。留学経験をレクチャーしてもらう都合などを相談。
ちなみにこの先輩(男)は我よりも一回り以上若く、行動力があり、能力も高そう。どう考えても我よりも優秀で将来性があるって感じだ。
後日、先輩からいろいろ教えていただいた。資料もたくさんいただいた。
このレクチャー後の感想を一言でいえば「先輩にはいい経験だったことや、楽しかったことは分かった。我もそうなりたい。でも、それよりも、その裏に見え隠れする不安の材料の方が山盛りであることに気づいてしまった」。
我には不安しかないって感じだ。今更だけど、ど~しよう!
つづく
第1回「決意」
実は、、、でもないけど我には海外留学経験がある。それも50歳間近になってからである。今思えば、「その歳でよく行ったな」と言うより「よく、行かせてもらえたな」ってな感じの留学ではあるが、我の数少ない、自慢の思い出である。
折角ブログをやっているので、忘れないうちに「思い出ばなし」として書いておこうと思った次第。(一気には書き上げられないので、時々、ちびちびと書く予定)
では、早速、、、
若いころは海外旅行が好きで、あの「地球の歩き方」っていう旅行ガイド本を片手にいろいろ行った。
初めての海外旅行は中国。大学の卒業旅行。就職を控えた1985年の冬だった。「地球の歩き方」の創刊が79年だからブームに火が着き始めたころだ。お金はバイトでなんとかかき集めた。ヨーロッパとかアメリカなどへ行く連中もいたけど、そっち方面は気おくれがした。そもそもお金が足りなかったし(笑)。
大学の友人と二人で香港から中国に入り、1か月近く放浪のような旅をした。中国との国交回復(声明)が1972年(正式な友好条約は78年)で、日本と比較しても、中国の近代化は相当に遅れていた。今からでは想像もできないような食事や交通、宿泊事情で大変な旅だった。「これはヤバい。死ぬかも」と思ったトラブルも数回はあった(笑)。そのあたりは、また別の機会に書いてみたい。
さて、そんな中国の旅を皮切りに、往復航空券と到着当日のみの宿泊付きのパッケージをよく利用した。現地に着いてから翌日の宿を確保しながらの旅行である。今の奥方ともロンドン観光やカナディアンロッキーにスキーに行ったこともある。結婚前だったから、「旅行中にケンカでもしてたら今の生活はなかったんだろうな。」なんて思いだしたりする(笑)。
当時はスマホやPCはなく、手配はすべてアナログである。大変だがその分楽しかった。とりあえず困らない程度にはブロークンイングリッシュってやつを話せたということだ。
こどもができて家族中心の旅行になってからは、安全第一で普通のツアーに参加することが多くなった。でも、できるだけ現地でフリーになれるのを選んだけどね。(写真は息子の海外旅行デビューのケアンズ)
そんなこんなで、英語をもっと話せるようになりたいなと常々思いながらも月日は過ぎた。既に40歳を過ぎたころであるが、たまたま「外国人を相手にする仕事」を担当することになった。我の拙い英語でなんとか通じるものの自分の語学力のなさを痛感した。これを機に、遅まきながら英語の勉強を再開したのだった。今振り返ると、「よく頑張ったね」と自分を褒めてあげたい(笑)。
そのころ、所属は違うけど、やはり外国人を相手に仕事しているSさんから、「アメリカに短期の留学に行ってきた」という話を聞いた。「希望してみれば?」とも勧められた。
「へー、行けるんだー」。なら、「我も行きたい!」。しかし、仕事(能力向上)のために留学させてもらうんだから条件はそれなりにある。TOEIC750点以上で、現在及び将来の仕事上の目標・目的が具体的であることだ。
「英語の勉強も始めたし、やってみるか!」。アルクのTOEIC講座を受けながら、TOEIC試験も受けてみた。最初は500点かそこらだったが、2年ほどコツコツとやりながら目標の800点を取ることができた。TOEICテストは2時間の集中力が必要。アラフィフおじさんには体力的にエライ(キツイ)のだ!ゆえに800点は偉いのだ(自画自賛で恐縮)!なお、その上のARCの900点コースの野望は無謀だった。途中で無理ゲーであると悟った(笑)。
さて、800点とったものの、残念なことに担当する仕事が外国人と関わらない部署に変わってしまったため、留学を希望する機会を失っていた(結構ショックだった。哀れ!)。
さらに数年を経て、職場が移り、以前とは異なるが、再び外国人の学生を相手にする仕事が回ってきた。その仕事の前任者は奥さんが英語圏のネイティブの人。そんな御仁の後任になぜ我がとも思ったが、多分あの800点が効いたのだろう(嬉)。
「我の年齢はもう50歳目前。でも行けるなら、行きたい! 多分、これが最後のチャンスだ」。海外留学の募集は年に1回。採用は数名。その案内が来るのを待って、奥方と息子に我の野望を告げると意外にあっさり承諾してくれた。まぁ、我の日頃の努力を知っていたからだろうね(笑)。
特に奥方には迷惑かけることになるけど、感謝しかない。ちなみに、一人息子も高校生。大学受験も控えている。「おやじ、やるじゃん、見直した」って思わせたい、そんな魂胆もあった(笑)。翌日、早速申し込んだ。
さて、応募条件のうち、TOEICの点数はクリアしている。問題は留学の目的・将来の目標だ。「留学に行かせてもらえたら、仕事でどのくらいメリット・恩を返せるか」を訴えなければならない。この年齢だから、将来の目標なんか言ってもしゃあないし、できない。ならばウソでも目下の仕事上の目的を訴えるしかない(嘘はダメだけど、誇大表現はあり⁉)。事前の書類や面接試験でもその作戦で通した。
特に面接試験では「もっと若い人に留学の機会を譲ろうとは思わないんですか?」とか「その歳で、あなたにとってのメリットではなく、職場にとってのメリットがあるんですか?」などと手厳しい質問を受けた。
「うるさいなー。歳、とし、トシって、そんな何回も言わなくてもイイじゃないか。歳なのはわかってるよ!」と心の中では強気に反論。でも、当然の質問だし、想定もしてた。とは言え、面と向かって聞かれるとやはりプレッシャーで冷や汗を流しながら、何とか切り抜けた。というか時間切れ(笑)。
別の日には英語を使った面接も受けた。流暢には話せないのは承知している。しかし、我ながら「やっちまったなー」的な応答しかできなかった。答えようにも同じようなフレーズしか頭に浮かんでこないんだからしゃあないのだ。10分程度の面接時間を数時間にも感じながら緊張に耐えて終えた。これまた時間切れ作戦(笑)
試験後、「こりゃダメだな」と思っていたら、なんと合格しちゃったのだ。「エーっ!」である。どうやら希望者(受験者)が少なかったらしい。
ヤッター!! とりあえず、喜んだ(笑)
つづく
こんにちは。ナッツとココで~す💕 今回も 伊良湖温泉「角上楼」の続き。 いよいよ宿の中に入れるね。ちなみにこの界隈は昔は花街、いわゆる遊郭街だったんだって。 もちろん今は住宅街の中って感じで、そんな雰囲気はまったくないけど、この角上楼や井筒楼はその遊郭文化を色濃く残した...