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2026/01/04

第4回「時間が解決⁉」 ~ アラフィフおじさんの 「イギリス留学記」~ 2011年(当時49歳)の回顧譚

 こんにちは♪ ナッツで〜す。ココでーす。

 ご主人がアラフィフだったころのイギリス留学記の第4回。

 50年も生きてきたからと言って、初めてのことに挑戦するのは誰しも不安だよね。しかも知れば知るほど自分の能力不足に気づかされるなんて。

 自分で選んだ道とは言え、ご主人、大変だねー。頑張ってねー💕

 詳しくは以下のご主人の回顧録読んでね💓

***  ***  ***  


 第4回「時間が解決⁉」

 「不安、不安」と嘆いてもしゃあない。目下の最大の不安材料である「MBAって何?」を少しでも解消だ。ってことで、日本語と英語が併記されている参考書を購入。やっぱり日本語で理解した後、英語を読むと理解が進む。調子に乗って、さらには英語論文の書き方の参考書も購入。こっちは殆ど開かずじまいだった(笑)。


青いのは当時のCDプレーヤー


 準備の出来不出来にかかわらず時間は容赦なく進む。あっという間に留学の2011年を迎えた。年明け早々に来るはずのバーミンガム大学からのGOサイン(案内通知)がなかなか来ず、チョー心配だったが、やっと3月に届いて「ホッ」と一息。どうやらBMEコースの募集開始が遅れていたらしい。

 留学用のPCも新調
当時はかなりスペックが
高いやつだったけど
流石に現在は使えない。


 早速、大学のBMEコースサイトで募集要項を確認しながら申込の手続きを開始した。当時のPCに書類のPDFデータが残っていた。懐かしい。概要は下に添付の通り。3月から直前の6月までなんだかんだやり取りをしていた。 

 ちなみに英語能力の条件であるIELTSは受けていないのでスコアは不明だが、TOEIC800点を換算すると「6.0」くらいらしい。社会人枠の特待生ということで書類上は10週間コースでOKにしてもらえるハズ(ラッキー:笑)。

 BME期間中の寮も一緒に申し込めるのは助かる。


大学からの正式な案内がくるまで
大学サイトで授業料や寮費を確認

 先輩に聞いていた通り、我の場合は、10週間のBMEコースに加えて、その後の2週間ほどは受入教官による個人指導を受けることになっている。まぁ、留学期間は3か月だから、遊ばせてはくれないということだ(笑)。

BME申し込みと大学からの確認通知

 なお、BMEが終了すると寮を追い出されるので、その後の2週間は別の宿を探さなければならないのは、ちょっと面倒だけど、しゃあない。

大学からの受入れOKの通知と寮の案内


左は我のイギリス到着予定の連絡。
右は当時の為替レート
1ポンド130円(1米ドル80円)。
今は考えられないほどの円高。
授業料も寮も、お酒も
すべてが安かった(笑)


 バーミンガム大学への手続きはこれでほぼ完了だ。意外とあっさりできた(笑)。

 でも、まだ肝心なことが残ってる。職場の根回しだ。もちろん既に同僚には承知してもらっている。とは言え、それなりの量の業務を押し付けて出かけることになる。やれることは前倒して進めておかないと同僚に負担をかけてしまう。

 特に一緒の業務をやっている J 女史には迷惑をかける。ちなみに、この J 女史は英語がチョー堪能で、イギリス好きの強者。

 なにがスゴイかって言うと、ロンドンの入管のチェックは厳しいことで有名だが、彼女は入出国の回数が多いので、別室に連れてかれて根掘り葉掘り聞かれることもあるんだそう。「むしろそれが会話の勉強になるから楽しい」と嬉しそうに豪語するほどなのだ。

 その他の能力も高い。まだ20代で、しかも美人さんだ。

 我が不在でも全然問題なさそうだが、そういう訳にもいかない。不在期間中に予想される仕事を彼女に引き継げるよう資料を作っておく。

 まぁ、PC持って行くから仕事しようとすればできないこともない。ただ、BMEでは宿題が結構出るらしい。仕事は緊急事態の場合に限らせてもらう。

 そんなこんなで、いよいよ出発の日が近づいてきた。いろいろ不安もあるが、やれることはやった。もう、この期に及んでは、「なんとかなるさ」だ!


  つづく

 (今回で留学準備編の終わり。次回はいよいよイギリスへ出発だー)

 



























2026/01/01

第3回「不安 ×2(倍増)」 ~ アラフィフおじさんの 「イギリス留学記」~ 2011年(当時49歳)の回顧譚

 こんにちは♪ ナッツで〜す。ココでーす。

 ご主人がアラフィフだったころのイギリス留学記の第3回。

 留学が決まったはいいけど、やっぱりいろいろ不安だよね。

 詳しくは以下のご主人の回顧録読んでね💓

***  ***  ***  


 第3回「不安 ×2(倍増)」


 先輩からの留学体験レクチャーのお陰で、バーミンガム大学留学がちょっと具体的に見えてきた。けど、その後の追加QAなどで、知れば知るほど、我の能力不足への不安というかプレッシャーがハンパなくなってきた。

 やっぱり観光旅行とは違うのだ。仕事として行くのだ。3か月とは言え、英語だけの研修生活をしなければならない。
 この不安を軽くするためには何をすべきか。そこは30年近く実務をこなしてきた、伊達じゃない経験が生きる(笑)。まずは不安材料を全部洗い出すのが有効だ。思いつく限り具体的にノートに書き出してみる。これは「筆記開示」などと言われる手法で、科学的にも非常に効果があるそうだ。

 あとは新しい仕事を始めるときの手順と同じだ。すなわち「TO DO LIST」を作って一つ一つ潰していく。これが我の不安解消には一番だ。記憶が定かではないが大雑把には以下のような感じだ。

 最初に先輩の体験やアドバイスを項目別に整理列挙。それを自分の不安(能力)のレベルに合わせてリバイス。さらにタイムスケジュールの組み立て。こういう頭を使わない作業は我の得意分野だったりする(笑)。

 だだし、これまでの半世紀の人生でよくアルアルだったのが、計画を作って満足してしまうケース。計画を完璧にすることが目的にすり替わってしまう「本末転倒」ってやつだ。
 今回は自分で手を上げた以上、それはマズいのだ。成果を出さねば。挫折したら職場にも家族にも合わせる顔がない(笑)。

 バーミンガム大学の留学手続きは、年が変わってから先方の受入れ教官のGOサインを待って、自分で行わなければいけないらしい。これも結構な不安材料の一つだが、ジタバタのしようがない。待つしかないので、先輩の資料を見たり大学のサイトで下調べをしたりする程度しかできない。ということで、これは置いておいて、、、

 とにかく心配なのは、やはり自分の英語能力。特に会話。TOEICは所詮読み書き中心。実際の会話能力は "?"なのである。英語の面接を思い出すだけで、顔が熱くなるくらい、ちょっと背伸びしてしまった感ありありの状況なのだ。

 そこで先輩のアドバイスを参考にイギリス英語のCDを聞きまくり。それでも不安なので、思い切って近くの個人でやってる英会話教室にも週一で指導を受けることにした。
 そこの先生はアメリカのネイティブ英語の人。イギリス英語の特徴をちょっと揶揄しながらも、面白おかしく教えてくれた。大して上達はしなかったけど、気休めにはなった(笑)。(写真はその時のイギリス英語用テキスト。)

 それからもう一つ。というか、これが最大の不安かも。
 先輩は「Business Management English Pre-sessional course(略称BME)」というクラスを履修したそうで、おそらく我もその可能性が高い。

 どういうものかっていうと、英語を母国語としない留学生向けの、MBA(経営学修士)の予備校みたいな感じであるらしい。大学のサイトを見ると英語能力が低い場合は19週間コースっていうのも用意されている。

 我の留学期間は既に3か月で決定してしまっているので今更だ。先輩に倣うと、我も10週間コースを履修するしかないのだが、果たして授業についていけるだろうか。不安でしかない。

 ちなみに履修後に数回、実力テストのようなものがあるとのこと。そして、最後にMBA(大学院の修士課程)の入学試験を兼ねた卒業試験があるらしい。「エーッ、そんなのあるのー⁉ 聞いてないよ。ヤバいじゃん!!」である。

 実は、先輩は我よりはるかに英語が堪能なのだ。具体的にどう堪能かは分からないけど、そんな雰囲気を醸している人なのである。当然卒業試験に合格している。
 我はこのままの能力では、卒業どころか、途中のテストで引っかかってしまうかも。

 ということで、我の心配、不安は解消するどころか、ますます大きくなっていくのである。  

 どうしよう。不安が2倍になっちゃたー!


   つづく




2025/12/29

第2回「喜び のち 不安」 ~ アラフィフおじさんの 「イギリス留学記」~ 2011年(当時49歳)の回顧譚

 こんにちは♪ ナッツで〜す。ココでーす。

 先日から始まったご主人がアラフィフだったころのイギリス留学記の第2回。

 留学応募試験に合格して、喜んでいるようだけど、それだけでもないみたいだね。

 詳しくは以下のご主人の回顧録読んでね💓


     ***  ***  ***  

 第2回「喜び のち 不安」


 ダメだと思っていたところ大逆転の合格! 「嬉しいけど、我のような者がホントにいいのかなー」と思いつつ、その日は早々に帰宅して奥方と息子に報告。もちろん一緒に喜んでくれた。

 翌朝出勤すると職場のパソコンに人事担当部署から留学に関するメールが届いていた。開封すると留学先に関する意向調書。実は、この留学には留学先と留学期間の選択肢があるのだ。今回の応募にあたり希望を書いて出していたが、その再確認というこらしい。変更の意向も書ける。

 ちなみに選択肢にはなんと「スタンフォード大学 特別研究生(1~2年)」もあった。

 世界の大学の中でも5本の指に入るような学校だ。どういう伝手でそんなすごい大学に留学させてもらえるのか謎だけど、我には関係のない選択肢だ。そんな大それた希望を出そうものなら、ただでさえ危うい合格可能性が「D」判定必至だ(笑)。

※写真は本文に関係なく、我が絶賛したい本。
「中学英語の基本が理解できれば、英語が使
える人になる」ってことがよくわかる。
まさに「目からウロコ」間違いなし。

 記憶が曖昧だが、その他の選択肢にはイギリス(ロンドン)の公的法人への派遣(1~2年)というのもあった。我の場合、年齢と能力を考えれば、年単位の長期は論外。ということで応募時の希望はイギリス(バーミンガム大学)への3か月短期留学。Sさんが行ったアメリカの大学とどっちがいいか悩んだが、なんとなくイギリスの方が我に合っていそうな感じがしてイギリスを選択。ちなみにプレミアリーグ好きっていう背景が一番大きかったりする(笑)。

 正直を言うと、大それた大学も一瞬夢見た。が、即、我に返って、「希望に変更なし」でメール返信。これで「イギリス バーミンガム大学」に来年(2011)の夏~秋に留学決定(仮)だ。

 数日後、人事部署からメールが届いた。我の希望は受け入れられたようだ。合わせて、今年(2010年)留学した、いわば先輩を紹介してくれた。早速先輩に挨拶を兼ねてメールを送信。留学経験をレクチャーしてもらう都合などを相談。

 ちなみにこの先輩(男)は我よりも一回り以上若く、行動力があり、能力も高そう。どう考えても我よりも優秀で将来性があるって感じだ。

 後日、先輩からいろいろ教えていただいた。資料もたくさんいただいた。

 このレクチャー後の感想を一言でいえば「先輩にはいい経験だったことや、楽しかったことは分かった。我もそうなりたい。でも、それよりも、その裏に見え隠れする不安の材料の方が山盛りであることに気づいてしまった」。

 我には不安しかないって感じだ。今更だけど、ど~しよう!


   つづく





2025/12/28

第1回「決意」 ~ アラフィフおじさんの 「イギリス留学記」~ 2011年(当時49歳)の回顧譚


 こんにちは♪ ナッツで〜す。ココでーす。今回から、昔ご主人が海外留学に行ったときのことを思い出しながらシリーズで書くことにしたらしいよ❤️ 
 そういえば、そんなこともあったねー。僕たちは置いていかれて、奥方が面倒見てくれたんだっけねー。
 まぁ、ご主人にはいい思い出なんだろうから忘れないうちに書いておくのはいいことだと思うよ💓

 以下、ご主人の回顧録。

     ***  ***  ***  

 第1回「決意」

 実は、、、でもないけど我には海外留学経験がある。それも50歳間近になってからである。今思えば、「その歳でよく行ったな」と言うより「よく、行かせてもらえたな」ってな感じの留学ではあるが、我の数少ない、自慢の思い出である。

 折角ブログをやっているので、忘れないうちに「思い出ばなし」として書いておこうと思った次第。(一気には書き上げられないので、時々、ちびちびと書く予定)


では、早速、、、


 若いころは海外旅行が好きで、あの「地球の歩き方」っていう旅行ガイド本を片手にいろいろ行った。

 初めての海外旅行は中国。大学の卒業旅行。就職を控えた1985年の冬だった。「地球の歩き方」の創刊が79年だからブームに火が着き始めたころだ。お金はバイトでなんとかかき集めた。ヨーロッパとかアメリカなどへ行く連中もいたけど、そっち方面は気おくれがした。そもそもお金が足りなかったし(笑)。

 大学の友人と二人で香港から中国に入り、1か月近く放浪のような旅をした。中国との国交回復(声明)が1972年(正式な友好条約は78年)で、日本と比較しても、中国の近代化は相当に遅れていた。今からでは想像もできないような食事や交通、宿泊事情で大変な旅だった。「これはヤバい。死ぬかも」と思ったトラブルも数回はあった(笑)。そのあたりは、また別の機会に書いてみたい。

 さて、そんな中国の旅を皮切りに、往復航空券と到着当日のみの宿泊付きのパッケージをよく利用した。現地に着いてから翌日の宿を確保しながらの旅行である。今の奥方ともロンドン観光やカナディアンロッキーにスキーに行ったこともある。結婚前だったから、「旅行中にケンカでもしてたら今の生活はなかったんだろうな。」なんて思いだしたりする(笑)。

 当時はスマホやPCはなく、手配はすべてアナログである。大変だがその分楽しかった。とりあえず困らない程度にはブロークンイングリッシュってやつを話せたということだ。

 こどもができて家族中心の旅行になってからは、安全第一で普通のツアーに参加することが多くなった。でも、できるだけ現地でフリーになれるのを選んだけどね。(写真は息子の海外旅行デビューのケアンズ)

 そんなこんなで、英語をもっと話せるようになりたいなと常々思いながらも月日は過ぎた。既に40歳を過ぎたころであるが、たまたま「外国人を相手にする仕事」を担当することになった。我の拙い英語でなんとか通じるものの自分の語学力のなさを痛感した。これを機に、遅まきながら英語の勉強を再開したのだった。今振り返ると、「よく頑張ったね」と自分を褒めてあげたい(笑)。

 そのころ、所属は違うけど、やはり外国人を相手に仕事しているSさんから、「アメリカに短期の留学に行ってきた」という話を聞いた。「希望してみれば?」とも勧められた。

 「へー、行けるんだー」。なら、「我も行きたい!」。しかし、仕事(能力向上)のために留学させてもらうんだから条件はそれなりにある。TOEIC750点以上で、現在及び将来の仕事上の目標・目的が具体的であることだ。

 「英語の勉強も始めたし、やってみるか!」。アルクのTOEIC講座を受けながら、TOEIC試験も受けてみた。最初は500点かそこらだったが、2年ほどコツコツとやりながら目標の800点を取ることができた。TOEICテストは2時間の集中力が必要。アラフィフおじさんには体力的にエライ(キツイ)のだ!ゆえに800点は偉いのだ(自画自賛で恐縮)!

 なお、その上のARCの900点コースの野望は無謀だった。途中で無理ゲーであると悟った(笑)。

 さて、800点とったものの、残念なことに担当する仕事が外国人と関わらない部署に変わってしまったため、留学を希望する機会を失っていた(結構ショックだった。哀れ!)。

 さらに数年を経て、職場が移り、以前とは異なるが、再び外国人の学生を相手にする仕事が回ってきた。その仕事の前任者は奥さんが英語圏のネイティブの人。そんな御仁の後任になぜ我がとも思ったが、多分あの800点が効いたのだろう(嬉)。


 「我の年齢はもう50歳目前。でも行けるなら、行きたい! 多分、これが最後のチャンスだ」。海外留学の募集は年に1回。採用は数名。その案内が来るのを待って、奥方と息子に我の野望を告げると意外にあっさり承諾してくれた。まぁ、我の日頃の努力を知っていたからだろうね(笑)。

 特に奥方には迷惑かけることになるけど、感謝しかない。ちなみに、一人息子も高校生。大学受験も控えている。「おやじ、やるじゃん、見直した」って思わせたい、そんな魂胆もあった(笑)。翌日、早速申し込んだ。

 さて、応募条件のうち、TOEICの点数はクリアしている。問題は留学の目的・将来の目標だ。「留学に行かせてもらえたら、仕事でどのくらいメリット・恩を返せるか」を訴えなければならない。この年齢だから、将来の目標なんか言ってもしゃあないし、できない。ならばウソでも目下の仕事上の目的を訴えるしかない(嘘はダメだけど、誇大表現はあり⁉)。事前の書類や面接試験でもその作戦で通した。

 特に面接試験では「もっと若い人に留学の機会を譲ろうとは思わないんですか?」とか「その歳で、あなたにとってのメリットではなく、職場にとってのメリットがあるんですか?」などと手厳しい質問を受けた。

 「うるさいなー。歳、とし、トシって、そんな何回も言わなくてもイイじゃないか。歳なのはわかってるよ!」と心の中では強気に反論。でも、当然の質問だし、想定もしてた。とは言え、面と向かって聞かれるとやはりプレッシャーで冷や汗を流しながら、何とか切り抜けた。というか時間切れ(笑)。

 別の日には英語を使った面接も受けた。流暢には話せないのは承知している。しかし、我ながら「やっちまったなー」的な応答しかできなかった。答えようにも同じようなフレーズしか頭に浮かんでこないんだからしゃあないのだ。10分程度の面接時間を数時間にも感じながら緊張に耐えて終えた。これまた時間切れ作戦(笑)

 試験後、「こりゃダメだな」と思っていたら、なんと合格しちゃったのだ。「エーっ!」である。どうやら希望者(受験者)が少なかったらしい。

 ヤッター!! とりあえず、喜んだ(笑)


 つづく


























温泉かぞくたび日記 伊良湖温泉 和味の宿「角上楼」2026.1. 23 - 24 (中編)

 こんにちは。ナッツとココで~す💕  今回も 伊良湖温泉「角上楼」の続き。  いよいよ宿の中に入れるね。ちなみにこの界隈は昔は花街、いわゆる遊郭街だったんだって。  もちろん今は住宅街の中って感じで、そんな雰囲気はまったくないけど、この角上楼や井筒楼はその遊郭文化を色濃く残した...