こんにちは。ナッツとココです。
今回の旅は歴宿(文化財の宿)の2連泊。一泊目は大阪 河内長野の天見温泉「南天苑」で第13回の日記のとおり。ここからは二泊目の岐阜養老「千歳楼」のお話。
それにしても、また迷子になったみたいだね、ご主人は。よくぞ、御無事でって感じだね💝
それでは、とにかく、ご主人の日記を読んでみよう💗
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~「迷い道」第二楽章と「養老の滝」散策
ChatGPT先生の「千歳楼の歴史と建築」予習講座付き~
今回のひとり旅は歴宿2連泊を決行。一泊目は大阪の天見温泉「南天苑」。翌日、二泊目は岐阜養老の「千歳楼」だ。
南天苑はさすが辰野金吾の設計という感じだった。和風建築だったけど、ほれぼれする外観。堪能できた。時刻は10時少し前。それでは南天苑から養老へ出発だ。
グーグルマップでこんなルート
流星号ナビに従って、羽曳野ICから草津までは概ね順調。
草津SAに着いたのが11時半。トイレ休憩して早々にドライブ再開。ところが、この先の草津JCTでやらかしてしまった。ナビの案内通りのつもりが草津田上ICの出口ルートに入ってしまっていたのだ。やむなく一旦高速降りて、Uターンして乗り直したら今度は反対方向の南郷に戻ってきてしまった。
「南郷」は往路でもやらかしたICだ。何か因縁を感じる。もうこうなったら流星号ナビと心中って感じ。シャアナイのでまた南郷ICを下りて、ナビに従い瀬田東ICで乗り直し。草津・南郷の間を高速と下道を駆使して余分に一往復したということだ。我ながらトホホであった。
このグーグルマップの右上(草津)から
左下(南郷)を余分に一往復
言い訳すると、多分草津SAは JCTに近いためナビがうまく反応できなかったのかな。一度混乱するとナビがあっても土地勘がないから不安にもなったし。まぁ、南郷まで戻っちゃったときは「もう夕方までにつければイイや」って感じだった。
あとからETCのログを見たら、草津田上ICを降りたのが11時46分、瀬田東ICで高速に入ったのが12時18分。そこから草津まで行く時間を考慮しても意外にロスした時間は少なかったかも(笑)。
その後は迷うことはなかったけど、最近できたばかりの養老ICは当然ナビが案内せず、大垣ICまで行った分、ちょっと余分にかかってしまった。結局「千歳楼」に到着したのは14時少し前。「千歳楼」のチェックインは15時だから、まだ1時間ある。「迷い道クネクネ」(第2楽章)をコナしてきた割には上出来だ。
この看板の入り口から坂道を数十メートル上ったところが駐車場。
駐車場も斜面に作られていて勾配がある。
これならチェックイン前に「養老の滝」散策ができそうだ。それよりも先にトイレだ。草津SAの休憩からノンストップで来たから、そろそろ限界に近い。車を駐車場に止めて、荷物を持って千歳楼へ。
ちょっと膨らんでいる感じの屋根
むくり屋根と言うんだそう
時代を感じる構えだ
駐車場に車を止めて、さらに小道を上がったところに「千歳楼」はある。印象的な屋根の玄関に入ると自動でチャイムが鳴るのだが、誰も出てこない。声を掛けても。ならば電話してみるか。スマホで電話番号を押し終えたタイミングで女将さんが出て来てくれた。
トイレは廊下奥。目隠しで見通せないので迷路っぽいけど、一応直線で行ける。
トイレを済ませ、「養老の滝」を見に行ってくると伝えると、女将さんが散策マップで丁寧にお勧めルートを教えてくれたた。滝までは片道20分くらいだそう。帰りコースの寄り道(土産やランプの店など)も紹介もしてくれた。
女将さんが説明しながら
ルートを赤ハイライトで記してくれた。
持ち歩いたからクシャクシャ
「時間があるなら〈天命反転地〉もイイですよ」って言われたけど、「いやー、そこってジジババが行くと転んで危ないところじゃないですか」って返したら、女将さんは笑顔で「私は好きよ」って言ってた。若いころに行ったんだろうね、多分(笑)。
とりあえず、養老の滝の散策だ。「15時半くらいに戻ってきます」と女将さんに告げて出発。坂道を下って宿の敷地を出るとすぐに養老神社の鳥居。この先を進む。遊歩道は整備されていて歩きやすい。
しばらくすると養老神社への石段。
手前には名水「菊水泉」。
名水ならばと思ったけど、雑菌で飲んじゃだめらしい。
階段踏破
耳が立っている
垂れ耳の方が多いと聞いていたけど
立ち耳の狛犬もそれなりにいるらしい
天井に千社札たくさん
大分高いところだけどどうやって貼ったのかな
ちょうど男女二人連れの人が境内の脇(滝に続く道)から来たので聞いてみると、「この脇の道は近道だけど、急勾配で段差が多くて歩きにくい。とにかく大変。」らしい。
ということで、石段をさっきの菊水泉まで下りて、女将さんの指示通りの安全ルートを採用。でも、いくつかの橋を通り越しながら後半は道はいいけど、それなりの上り坂でハアハア言いながら、休み休みを強いられる道だった。
見えてきました
間近で見るとやっぱり豪快
講釈はご覧の通り
平日とは言え人が殆どいない
こっちもパワースポット的な⁉
以上、養老の滝 終了。
戻りは下り。スピードがだせるけど、その分ヒザに来る。
女将さんのルートより行き過ぎて、少しバック
この辺りは土産屋が並んでいるけど閑散
まだ15時なのに、見てる傍から店が閉まりだした。慌てて施錠を始めた店にお願いしてお土産用の「養老サイダー」ゲット。何か食べ物があるかと聞いたら、「申し訳ないけど、もう閉店なので、、、」とのこと。昼食べてないのでお腹もペコペコなのだ。
夕食までは3時間くらい待たなければならないと思うと、ますますヒモジク感じてくる。諦めるのはまだ早い。その店からしばらく坂を上がったところの一軒はまだやっている様子。
店に入って声を掛けると、年配のオジサンが出て来てくれた。テーブルと椅子があって食事もやっているみたいだ。「何か食べさせてもらえますか」って聞いたら、「五平餅なら、、、」と言ってもらえた。時間が時間だからね、アリガタイ。
なんとか開いてる店見っけ
「大黒屋」さんアリガトウ
「養老サイダー」(さっき買った土産用じゃないよ)をいただきながら、待つこと5,6分。炭で焼いた感じの香ばしい一皿を持ってきていただいた。温かいお茶も。五平餅のタレがたっぷりで味が濃厚だけどちょっと焦げ目もついていて美味しい。
これで、夕食までヒモジイ思いをしなくても済みそう。ごちそうさまでした。
時刻は15時を回ったところ。千歳楼に戻ってチェックインだ。
でも、その前に「千歳楼」の予習をしておきたい。(いつも4000字くらいを目安に一投稿としているんだけど、今回はまだ余裕がありそうなのでね)
ということで、ChatGPT先生に「千歳楼の歴史」についてプチ講義お願いする。Gemini先生には別途登壇していただく予定だ。
<以下、ChatGPT先生の引用>
1.「千歳楼」 は、岐阜県養老町にある老舗旅館で、養老の滝参詣の門前宿として発展した建物です。歴史を手短にまとめると次の流れです。
江戸時代(18世紀頃)
宝暦年間(1750年代頃)に創業といわれる。
養老の滝 を訪れる参詣客や旅人のための茶屋・旅籠として始まる。
明治~大正時代
養老公園の整備や観光ブームにより客が増える。
建物を増築し、料理旅館・宴会旅館として規模が拡大。
政財界人や文化人が訪れる場所になる。
昭和前期
大広間や離れなどが整備され、現在見られる迷路のような建物配置が形成される。観光地の高級旅館として繁盛。
戦後~現在
戦後も営業を続け、建物群は明治~昭和の旅館建築が残る貴重な例として知られる。
文化的価値が評価され、歴史ある旅館として保存・活用されている。
要するに:
「養老の滝の門前茶屋 → 観光旅館 → 宴会文化の大型旅館」という形で発展した宿です。
千歳楼リーフレット
2.千歳楼 には、江戸末期から昭和にかけて多くの皇族・政治家・文化人が宿泊・滞在した記録が知られています。代表的な人物を、宿泊・来訪の系統ごとに手短に整理すると次の通りです。
皇族・宮家
大正天皇(皇太子時代の来訪とされる)·有栖川宮熾仁親王、高松宮宣仁親王
明治~大正期には、養老公園への行幸・行啓や視察に伴い、皇族関係者が利用したと伝えられています。
政治家・幕末維新関係
伊藤博文、三条実美、山岡鉄舟、大塩平八郎
明治政府の要人や幕末志士の流れをくむ人物が養老観光の際に滞在した例があると伝えられています。
文化人・芸術家
竹内栖鳳、横山大観、北原白秋、谷崎潤一郎
特に大正〜昭和初期には、画家や文人が養老の自然を目的に訪れ、滞在した例が多いとされています。
宿泊状況の特徴(歴史的傾向)
千歳楼の宿泊客には次の特徴があります。
養老の滝観光・保養客の高級宿
皇族の行啓・政治家の視察の宿泊地
文人墨客の滞在宿(創作・逗留)
つまり、性格としては
「滝の観光地の門前宿+文化人サロン的旅館」という位置づけです。
3.千歳楼 に文化人や政財界人が多く滞在した理由を、建築と宴会文化の面から簡単に説明します。
①「宴会旅館」としての構造
千歳楼は普通の旅館というより、明治~昭和初期に流行した宴会中心の高級旅館でした。
特徴は 大広間(数十畳規模)、舞台付きの宴会場、芸妓を呼べる座敷構成 、複雑な渡り廊下でつながる離れ
これは当時の政財界の接待・会合に非常に向いた造りでした。
つまり 宿泊施設+料亭+遊興空間 という性格です。
②養老という場所の特殊性
千歳楼の立地は 養老の滝、養老公園の入口にあります。
明治以降、養老は皇族の行啓地、政財界の観光地、文人の避暑地
という位置づけになり、名古屋・岐阜・大阪の上流層の遊興地でした。
③文化人サロン的な旅館
大正~昭和初期の旅館には、芸術家や文人が長逗留する宿という役割もありました。
千歳楼の場合は 自然景観(養老山地)、長逗留できる離れ、宴会文化 です。
④実は「半分料亭」だった
明治~昭和の有名旅館にはよくある形ですが、千歳楼も
昼:観光客の宿
夜:宴会・接待・芸妓遊び
という二面性がありました。
この構造は、愛知県の角上楼、井筒楼 のような遊興性の強い旅館建築ともかなり近いタイプです。
実は千歳楼で一番面白いのは「建物の増築の仕方」なんです。建物を地図で見ると、研究者がよく言う「遊郭建築に近い迷路型構造」になっています。
<以上、ChatGPT先生のプチ講義より引用>
なかなか面白い内容だった。先月泊まった角上楼や井筒楼にも通じる遊郭の特徴もある建築だったとは思わなかった。楽しみが膨らんだ。
では、いよいよチェックインだ。
つづく
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とりあえず、無地に養老に到着して滝も見れたし、よかったね💕 このあとはチェックインして、いよいよあの「袖の間」。玄関見ただけでこの「千歳楼」の歴史を感じるよね。楽しめそうだね、ご主人💓